登校拒否

ただでさえ授業に出るのは億劫だが、前期から形作られ完璧に排他的になった授業(特に通年)の空気の中にずかずかと入っていくのはもっと嫌だ。今日は仏文の授業で、なぜか先生に、一時間半、完璧無視を食らった。フランス人の中で日本人が無視されるのは致し方ないとして、日本人の中でハブられるという憂き目を見て、次回からも元気に出席!なんてできるはずもない。

前からうすうす気づいてたのだけど、先生側から見て、私って「うざい生徒」なのではなかろうか。高校時代の塾の先生にも「目につく」「(場合によっては)癇に障る」と言われたことがある。意図的に反抗してることは、確かにあるさ、だけど、半分以上反抗する意志はまったくないのに、思わぬところで先生に嫌われる…。これを読んでいる私の高校時代、中学時代、小学校時代の先生がいたら、この哀れな生徒に良き助言を与えてほしいものである。

先生の因縁で言えば、高校三年のときが最悪だった。高三になって日も浅い、春の遠足のときのこと。担任の気まぐれによって(遠足中なのに)急遽、昼食後、私の面接が行われることになった。なぜかそこに同席したのが音楽の先生。私はこの年、学内合唱祭の指揮者をすることになっていたのだ。

面接は私の進路についてだったが、担任と音楽の先生は二人して「あなたは心が狭い」「質問ばっかりで、こっちの話を聞こうとしない」「頭が固い」「わざわざ京都の大学を受ける必要はない」と怒り通しで、後半は「自分の限界を自分で決めてはダメ」と私が諭される感じに。最後は「そんな狭い心じゃ受験も合唱祭もだめになるわよ」と締めくくり、彼女たちも言いたい事を全部言って、満足したようだった。

こんな風に怒られるのは、私とその音楽の先生の仲が最悪だったからで、(指揮者になるなんて思わなかったから)高校二年まで反抗し放題だったからである。血気盛んな高校時代、自業自得といえなくもない。

ところで、この面接は、○○芸術の森美術館の中央広場にあるガラス張りの建物の一階で執り行われた。自然、食事を取っていた我が同級生に、一部始終丸見えだったことは、二重に痛い出来事だった。まさか芸術の場でこんなえぐいことするなんてね、はて宗教の力だろうか。

しかし、安心されたい。合唱祭はめでたく最優秀賞、大学も第一志望に行けたのだ。でも、先生との関係が希薄になるはずの大学でも、先生とのトラブルが絶えないところを見ると、やはり自己反省に向かうべきだろうか。高三の頃がせつなく思い出される。